急に字が読めるようになった3歳の時のあの記憶を、おばさんが滔々と語る。
ハロージャパン、フリーバッグの感想書けてません。
なにしろ世の中が大変な事になっていて、おばさんも大変な事になっています。2020年4月3日現在、東京のかたすみにはまだ爆発的に感染者がいるという発表はないけども、自主休園を求められたり、週末も自粛中。
先が見えない、予定もない毎日で仕事と家事と育児だけはあるっていう不毛な感じでみんなそこそこストレス溜まってると思う。
この内容を数年後に思い出して、イライラしてたね〜とか思える世界だといいね。
子供はどうしても成長していってしまう
そういう鬱屈とした日々の中でも、子供は確実に順調に成長してしまうわけです。
自分の子供も他の子供も。
うちの娘は、ダイソーで買った百円のドリル一冊で年中の夏にはひらがなをマスターしたんだけど…
・字が読めるようになるメリットをあまり感じない
・ひらがなが理解できてしまうと、絵本を絵より字で解釈してしまうため世界観が広がらない
など、保育士さんが話してくれたのでわたしからは教えなかったんだよね。
鏡文字になっていても、気づくまで放っておいたり。
時を同じくして、お友達のおうちの息子ちゃんがいきなり線の羅列だったお絵描きから、丸の中に丸を数個書いて〝顔を表現する〟事ができるようになり、とてもおめでたい!と思った。
その息子ちゃんは、現在は療育園でいろんな事を学んでいるので、そういう刺激の中でいきなり形を認識してそれを手を動かせば描ける!というのがつながったのかな…?などと思った。
そこでふと思い出したのが、私が3歳の時にいきなり字が読めるようになった瞬間の事なので、おばさんが急に幼児期の体験を語り出します。
急に何もかもがつながって脳が暴走する感じを体験した3歳の私
その時は、家に母がいて洗濯物をたたんでいて。
私は毎日読んでもらっている『あかいりんご』という絵本を、一人でパラパラ見てたんだけども。時間はおそらく午後3時くらい。
和室に光がはいってて、電気はつけてないけどテレビで子供が見る番組をやっていなくて、母が洗濯を取り込んだ後…と考えるとおそらくそのくらいの時間。
3歳、脳がスパークする
『あかいりんご』は今は絶版らしいのだけど、こんな絵本。
これをパラパラ見てたら、毎日母が音読している「あかいりんご」という音が字と突然リンクした。
「あ」という言葉は「あ」というひらがなと同じで、「か」という言葉は「か」というひらがなと同じ。
カッと目の中に入ってきた文字が、今まで読み聞かせられていた〝音〟と全く同じであるというギミックにびっくりして、さらに読み進めていったら全部音読できた。
どうしていいかわからず、洗濯物をたたむ母に「字が読めるようになった」と言ってみたんだけどやっぱりそれは「そんなことあるわけない」と言われて、悔しくてその場で音読したら母もびっくりしてた。
そして母が「〇〇が初めて読めた絵本」とマジックで絵本に書いて、それはまだ家に大事にしまってある。
という一連の流れで、特に印象的だったのが自分の脳が制御できないような感じになって、どんどん字が流れ込んできて止まらないっていう感覚なんだよね…
あれはすごく変な感じで、「体得した」という実感はまるでなくて、脳が勝手に動き出した!っていう気持ち悪さとか怖さの方が先にあった。
ので、多分その夜は寝つきが悪かったという記憶。
もしかして、我々の子供たちもそういう「脳のスパークを繰り返してて寝ない」とかあるんじゃねえの?
毎日子供たちをいかにスムーズに寝かせるか、これはもう親の永遠のテーマだろうと思うんだけど。
それはさておき、私は今でも寝つきが悪い。
疲れれば疲れるほど寝られない。
そういう日は情報量が多かったり、脳がフル回転したんだろうなと思う。
まあ、今だってさかんに言われている事なんですけど…「興奮した日は子供がなかなか寝ない」問題。
だから、寝る前にはなるべくテレビなど刺激の強いものはやめて…とか言うじゃない。
やめてっつったって、今私が子供だったら寝る間際までヒカキン見たいけどね。
それでも親なので、子供のためを思ってスムーズに眠れるよういろいろと試行錯誤するわけだけど、数日前もしくは当日の親が見ていないところで「様々な新しい気づきによって脳がスパークし続けてる」としたら、まあ寝られないよなって思う。
おばさんですら疲れると眠れないんだから。
自分の子供の自慢というわけではなく、うちの娘は感受性が強いと言われていて、確かにすごい事言ったりするのでひいき目抜きにしても多少敏感なのかなと思う。
ということは、見るもの聞くもの全てにちょっとした脳のスパークを感じていたら、落ち着かないし寝られないのはわからないでもないな…
そんな事を、ふと思った。
あの急に「脳に何かが起きるショックと気持ち悪さと興奮」を日々得続ける幼少期の人間と一緒に暮らしている者である私
絵が描けるようになる、も「突然見たものの形を手を動かせば再現できる」という脳のスパークだったとしたら、人生の中でもものすごい人生の転機なんじゃない?と思う。
そういう小さくても〝自分にとってはかなりの人生の転機〟を子供は日々浴び続けている。としたら、眠れないのもわからないでもない。
私はたまたま字が読めてしまったあの感覚を覚えているので、それをお友達の息子ちゃんの絵の話で思い出してしまったので。
「その感覚は共有できる親」としては振る舞えるかもしれない。
ただ、その感覚はもう老いていく脳では共感できても実感することはないとして。
子供の謎の興奮や落ち着かない様子なんかを、ちょっと踏み込んで「そりゃたしかにヤバいわ!寝れないかもしれない!」と言ってあげられるようにうまく転換できないだろうか。
そしてそこから、ちゃんと成長できるよう眠らせてあげるには?
そう言っている間にも、娘は何かを得てまた脳がフル回転している。
脳があの気持ち悪い感じに暴走してる感覚を味わってる。
おそらく今夜も素直に寝ない。
半年以上書いていないけれども「フリーバッグ」と「バチェラージャパン」について後日書こうと思う。
中年ですら思春期の自意識過剰を凌駕する、承認欲求があるのを知っている?
私は物を書くことを仕事にしている。
ちょっと狂っているとは思うが、趣味も物を書くことで、1日中頭の中でぐるぐるとなにか文章を組み立てようとしている。
人間というのは、絵でも工作でも手芸でも裁縫でも、文章でも一度「何かを作り上げて評価を得る」という成功体験をしてしまうともう止まらないものだと思う。
それがちょっとした手芸だとしても、SNSで「素敵ですね」と言われた日からもう評価を受けている成功体験は始まっていて、まさか自分でも想像がつかなかったが文章を書くことで報酬を得てしまうと脳内にドバドバと快楽のような物質が出てしまいやめられない。
しかも私は二次創作もしているので、ありがたいことに感想を頂けることもある。
その時、ふと自分が自分ではなくて成功している人間だと錯覚しているような気持ちになる。
おそらく何年もコラムを書いてお金をもらい、校正やテーマの選定のリサーチの技術も身につけたので、多少はクライアント側も使いやすい人材ではあると思う。
けれどもふと自分の姿を見た時に、ぼろぼろの部屋着に疲れ果てた顔をした白髪も目立ち始めたおばさんであることは確かで、そう言う時にとてもみじめな気持ちになる。
化粧をすればいい、美容院に行けばいい、という話ではなく積み重ねた苦労や背追い込んだ生活がそうさせるんだろうな。
そんなみすぼらしいおばさんでも、前述のとおり仕事と二次創作で文字を書いて重ねて売って報酬をもらってイベントに出て、なんとか人の形を保って生活している。
私にも多少ママ友と呼ばれるような人がいて、何人かは全く趣味がない。
米倉涼子の出るドラマは全部見るよ!とか、趣味といえばそのくらい。本人はとても魅力的な人だから、趣味を持った方がいいよなんて野暮なことは言わないんだけれど、「何かを作りたい」という欲がないんだそうだ。
彼女と私にどんな違いがあるのかはわからないけれど、何かを作る私がよくわからないと笑っていた。「本を作ったことがある」「自分の書いた文章で折本を作る」「子供と手芸をする」、それらをすごく不思議がられる。
世の中には私よりもっともっと器用な人が星の数ほどいて、子供の情操教育のためにも驚くほどの労力で子供ならではの作品を作ってほめて育てている人もいて。
その中で私は末端の手作りができるお母さんなんだけれど、その原動力はどこからくるのかなと思った。
ママ友は「不器用だからできないの〜」なんて言うけれど、そうだろうか。
私は「子供と手作りの作品、それも周りがちょっとびっくりするような褒めてくれるようなクオリティのもの」を作って、ちょっとちやほやされることで自分を保っていないと言えるだろうか。
承認欲求という言葉に置き換えるのはあまり好きではないのだけれど、アウトプットしたもので自分を高みにおきたいというのは、誰しも少しはあると思う。
そして、子供と一緒に何か作ることでかわいくできた「何か」はみんなが褒めてくれて、いいお母さんねという評価までもらえる。
複雑な生い立ちであるから、多少理想のお母さんは人よりもこりかたまっているのかなとは思う時もあるんだけれど…
子供のことを愛していて大事にしているのは確かだけれど、こういうのなんだろうなあと少しモヤモヤすることもあった。
子供を使って自分を褒めてもらいたいと簡単に表現すると、子供をアクセサリーにした浅はかな母親かもなあなんて落ち込むこともある。
だいたい、ママ友はそこまで深く物ごとを考えないと言った。
いっつもそんなにいろいろ考えてるの!?と驚かれた。
そうなのか、考えすぎか。
クリエイターぶって、思慮深くあることも一種の快感であることはわかってる。
大した作品は作っていないけれど、アウトプットしたものが形になる快感を知っている。
けれども容赦無くふりかかる生活や子育ての悩みで、キャパオーバーになって丸一日寝込んでしまうこともある。
結局こんなことの積み重ねがいわゆる人生なのだなと思うのだけれど、私はまだそこまで達観できない。
他のママ友は「それでもこの人生は自分が主人公だから、自分を諦められない」と言っていた。
それはとても腑に落ちた言葉で、ああやはりこの人生でできる限りの何かを作り出していかないと、脳に酸素が回らなくなって死んでしまうなと思った。
これからも器用に「何かを子供と一緒に作るお母さん」というスタンスを作り上げて、イベントの時にはちょっと目立ちたいと思うだろうな。
We wants to feel recognized at work.
という言い方があって、「誰もが認められたいものだ」という意味なのだけれど、私は認められたいんだろう。
当たり前のことだけれど、あまりにも恥ずかしい。
それをSNSでアピールするのもとても恥ずかしいが、でも出来上がったものを披露してはコメントをもらっているのもそういうことだろう。
きっと心の闇(笑)みたいなものもあるんだろうけれど、過去はどうでもいい。
これからだ。あと何十年私はアウトプットできるおばさんでいられるか。
自意識過剰な少し器用なだけのおばさんは、あと何冊同人誌を出せるだろう。
あとどのくらいコラムを書いてお金をもらえるだろう。
ふとたちどまって、こういうことを考える日がある。
今日がまさにその日で、そういう日はたくさん映画を見る。
インプットをして心を落ち着ける。
本を読んで自分の才能のなさに打ちのめされて、「でもまあ、命があって家族があって、仕事ができるだけいいや」というところまで自分を持ち上げる。
そういう作業やメンテナンスが必要なおばさんも、世の中にたくさんいるだろうけれど、なかなか出会えるものではなくて。
そして今日も私はSNSにしょうもない問いかけをして、少しのお返事を好意で頂けて嬉しくなる。
願わくば、今日も何か一つでも自分が納得できるものを創作して「ちょっと器用なおばさん」として、自身の根幹が揺らぐことがありませんように。
私が作る不安定な「何か」が、いつか来る中年の危機を救うお膳立てとして役立ちますように。
SATCを見直して気づかされる、わたしたち四十路の現実とウェルカムプレ更年期
お久しぶりです。
90日間以上更新をしていなかったそう。
その間、私は育児と家事と仕事と。老猫の介護をしながら、二次創作の同人誌を出したりして忙しくしていた。
育児と家事と仕事はいつも通り。とても大変。
老猫の介護は思ったより心にくる。ずっと元気だった家族が、今までできていたことができなくなっていく過程を見ながら、せめて痛かったり苦しかったりしないよう、常に気を配る。
体質改善の漢方薬をもらいに行っているんだけれど、そこの先生にも「忙しいでごまかさずに。一番の負担は猫の介護だと思いますよ」と、ズバッと言われてしまった。
オーケー。受け止めます。
仕事はありがたいことに、相変わらずコンスタントに頂けていて、しかもワンステップ上級なことまでチャレンジさせてもらっている。
しかも最近、市や信用金庫が運営している起業支援センターで行われている起業セミナーに参加したりして、開業と確定申告について学んだり。
そしてそのセンターで運営している、コワーキングスペースでMacBookを広げて難しい仕事をしたり。
二次創作の同人誌については、どのジャンルかは伏せるけれど一回目のイベント参加…しかも初回は5部売れたら大成功と言われている小説の分野で、まさかの完売という快挙を果たした。
通販もしていて、ぽつぽつ注文がある。
ファンレターや差し入れを頂いて、ちょっとした先生気分だけれど、いい年だし浮かれきった気持ちが外に出ないようにおばさん然と振舞っている。
四十路になった今年も後半に差し掛かり、充実という面ではこれ以上ないほど充実しているし家族仲良く素晴らしい日々。
ここ最近、手先を使うけれど文章を書くわけではない仕事で飽きてしまうので、アマゾンプライムビデオでSATCをシーズン1から吹き替えで見てる。
さっきまで書いたことは、本当に私の最近の生活でなにも嘘偽りない。
言ってみれば「働き盛り」で、今のうちに何かを達成したり道筋をつけておかないと育児も仕事も二次創作も、もっと先に行けない。
私はもっともっと先に、上に行きたい。
お母さんだから、おばさんだからで諦めたら、きっと私はストレスで爆発してしまう。
そんな気持ちにはなんとなく気付きながらも、まあまあこのくらいの年であればみんなそうだし。そういうものだし。
そして、SATCはプライムビデオでどんどん次のエピソードに変わっていく。
シーズン1から4まで見ると、SATCのキャストもかなり老けてくる。
ちょうど今の自分の年齢前後になってくる。
やはりあまり頭も使わず見られるし、今見てもファッションもかわいくて最高だ。
そしてあることに気づいたんだけれど、この人たちおばさんなのに大騒ぎをしている。しかもかなりくだらないことで。
ミランダとシャーロットは、お母さんになっている。
お金持ってるからナニーを雇っているのに、それでも子育てと自分を保つのに大騒ぎしている。
四十路すぎの独身のサマンサは、とってもゴージャスでキャリアにまみれたアーバンな生活だけど、ふと女特有のヒスり方をする。
週末の予定を聞かれて大騒ぎしている。ビジネスで成功してる女性もヒスるんだなと思った。
キャリーはいい年をして、二股をかけたりして彼氏とケンカして大騒ぎしている。
まさかこんなことになるとは思ってもいなかったが、自分は四十路目前にしてキャリーと同じライターになった。
あんなに好きに自由に、コラムは書けないけれど。
そしてキャリーも仕事に男に大騒ぎしていて、一番大人気ない。
『お母さんだから、おばさんだからで諦めたらきっと私はストレスで爆発してしまう。』わけだけど、爆発ってなんだろう?
たまに娘のイヤイヤ期が手に負えなくなって、そこに老猫の粗相が重なって、自分も風邪をひいていたりするときに、ついつい号泣してしまうことだろうか。
そこまで追い詰められる前に、私は何のアクションをすれば少しは救われるのだろうか。
あるエピソードで、ミランダのお母さんが亡くなり、シャーロットがお悔やみの全てを仕切るために「恐怖のマーサスチュワート」になる。
そしてサマンサは、ミランダのお母さんの訃報に意外と深くショックを受けていて、とうとう葬儀の最中に泣いてしまう。
シャーロットは子作りをするけれども、不妊の可能性があり、結婚をすれば自然に得られるはずだった赤ちゃんを手に入れられず夫婦仲までおかしくなっていく。
私も身内の不幸が多くなり、パールのアクセサリーを買った。
夫の喪服はクリーニングに出しておく。
ご祝儀よりお香典を出す機会の方が、断然多くなった。
子供がいる既婚者は子供がいない既婚者に対して「不妊なのかも」なんて思っているそぶりは見せずに、「自分たちの時間が持てる夫婦って最高」と賛辞を送る。
仕事はどんどん難しくハイレベルになり、こなせばフィードバックを受け取れるが、根本的に育児をしているのであまり仕事に専念できる時間がない。
先日年上の独身女性に「時間はみんなに等しく平等に流れている」と言われたが、そうだろうか?
家事と育児と仕事と趣味と介護と夫婦のコミュニケーションとセミナーと、季節ごとに訪れる衣替えと布団類の整理と…固定資産税となかなかたまらない貯金。
私と同じ年で、独身でお金に余裕がある女性と比べて、時間は平等だろうか。
もちろん、その苦労に上回る幸せは手にしている実感がある。
子供は健康でかわいくて、賢い。
仕事が忙しいなんて、フリーランスにはありがたいことで、同人誌を出したからって一定のファンをすぐに得られるなんて夢のよう。
SATCのキャストたちも、シーズンを重ねるごとにそれぞれ年齢なりの悩みを抱える展開になっていくんだけれど、『お母さんだから、おばさんだからで諦めたらきっと私はストレスで爆発してしまう。』時に、どうしているかを見てなんとなく、ぐさりときた。
大騒ぎしている。
それはもう、とても大騒ぎしている。
シャーロットは二児を抱え、ナニーがいるのにも関わらず思い通りに事が運ばなくて、キャリーと電話中に号泣してもういやだと叫んでいた。
ミランダも泣き止まない子供と、何ヶ月も行けていない美容院の事を思って周囲に八つ当たりして泣いていた。
大騒ぎだ。
私はお母さんであることをトップ項目におきすぎて、「大丈夫!大丈夫!この家はママがいるから大丈夫だよ!」という役に入り込みすぎて、騒ぎたりていないんじゃないだろうか。
大きな問題があっても、とても冷静に次にとる最善の手段を考え、それに従いみんなの気持ちを落ち着かせてから遂行する。
四十路になって、SATCを見直して「大騒ぎしよう」と思った。
ファンレターや感想をもらって、作品に対して賛辞をもらったら一緒に同人誌を出している友達に伝えて大騒ぎしようと思う。
娘のイヤイヤ期の反抗ぶりにも、嫌になったらその場で大泣きして、大騒ぎしようと思う。
猫の介護ももっと動物病院で心配な気持ちを先生に聞いてもらって、辛いんです大変なんですと大騒ぎしようと思う。
クライアントにも、今すごく大変なので納期を遅らせてくださいと大騒ぎしようと思う。もともとそういう時には配慮しますと言われて、受けた仕事なのだから。
今はそう思っているだけで、きっと実際にはそこまで大騒ぎはできないだろうけれど、今までの無意識にお母さん然と振舞っているだけよりは少しはいいんじゃないだろうか。
私はどんどん老けていって体力もなくなる。
センスも頭打ちだ。若い子の鋭さにはかなわなくなってくる。
経験とスキル。
それしかなくなる。
それと、子供の成長。
『とってもしんどい。
しんどい。
抱えきれない。
疲れる。寝たい。もっと自分の時間が欲しい。』
ハロー、プレ更年期。
ホルモンバランスが変わる時期には、軽いホットフラッシュがあったりする。
ウェルカム情緒不安定。
大騒ぎをしよう。
私はグリーン・ホーネットでもバットマンでもない。
ただのおばさんだ。
大騒ぎをして、ちょっと楽になってもいいんだな。とSATCを見て思った。
そんな毎日を送っている。
次の同人誌の新刊を楽しみにしています、とツイッターでリプライをもらった。
さしあたり、嬉しい嬉しいと大騒ぎする予定だ。
容赦のない現実は、切々と人生を蝕み私たちは大人になった。
年をとるといろいろなことを思い出す。
小学校の頃、おばあちゃんと言えるような年齢の担任が、卒業アルバムかなんかの質問コーナーで怖いものはなんですか?との問いに「時間」と答えていた。
ずいぶん斜に構えた答えで、小学生であってもちょっと辟易した。
その担任があまり好きではなかったので、単純な「幽霊」とか「地震」という答えでなかったことが、かなりいやな気持ちにさせた。
ところが、40歳を前にすると一番怖いものは「時間」だと思っている。
先日、娘が私の母の旦那さん(便宜上おじいちゃんということになっている)から、壊れた腕時計をもらった。
衣類販売のチェーン店の偉い人なので、そこそこ見栄えのする時計だったけれども、修理するのがめんどうだそうで。
娘がそれを気に入って、いつも腕につけて「時間がない時間がない」と言っている。
三月うさぎみたいだなあと思ったけれど、きっと私の真似なんだろう。
私には時間がない。
正確には、大人には時間がない。
死に向かって疾走していく、その中で子供を育てお金を貯め、そして生きなくてはいけない。
もう私は人生の折り返し地点に立っている。
この前、お向かいのママ友が子供と一緒に我が家に遊びに来た時に、まだこの人たちは三年とか五年しか生きてないんだねという話をした。
「いいなー」と言った後に、彼女は「あ、やっぱいいわ。いい。もう人生やりなおすのめんどくさい。このまま死に向かいたい」と続けた。
かなり納得してしまった。
私は複雑な家庭環境で育ったため、あれをもう一度やるのもめんどうくさいし、もう一度出産するのもめんどうだ。
時間を巻き戻せる権利をくれると言われたら、辞退すると思う。
いろんな痛みを抱えてを乗り越えて、老いていく上で、やり直すという発想は野暮だ。
結果が出てしまっている。
私が選んだ、サボった、頑張った全てが今の生活でそれは私の人生で。
やり直したところで、人間性が一緒ならきっとここにいるだろう。
娘の、すあまみたいな寝顔を見ていて、親というものはこんなにも人間くさいものなのに、彼女は全てをゆだねて信用してくれてありがたいなと思った。
残りの人生を、彼女の幸せと自分の達成感のための仕事と、どのくらい費やせるのだろうか。
私は、妖怪渋谷系懐古ババアなので休憩時間によく小沢健二を聞く。
「愛し愛されて生きるのさ」が流れてきた時、泣いてしまった。
疲れてるなあ〜と思ったけど、まあ大人だから仕方がない。
大人は疲れる。
歌詞の中の「ふてくされてばかりの10代を過ぎ分別もついて年をとり」、を体感したんだなと思ったら泣けてきた。
大人として振る舞いながら疲れて、稼いで、消費して、固定資産税を払いに行く。
固定資産税を支払っている時に、容赦のない現実と大人の中身の気温差に背筋が寒くなったりする。
三大義務をきちんと果たし、子供を産んで少子化に多少なりとも貢献し、仕事をして老いて死ぬ。
時間がいつか私を殺す。
想像では、そこにはただ広大に水が広がり、納税と労働の義務を果たして死んだ私は水に浸かりながら回想している。
ひたすらな無の中で、思い出すことは娘とFNS歌謡祭を見たことや、マクドナルドでジュースをこぼして恥をかいたことだったらいい。
こうして書いているものは、私が死んでもネットの海をずっとただよっていく。
時間がないのに、ブログを書いて憂さ晴らししている私は、また締め切りに追われ「時間がない時間がない」と言い続けるだろう。
小沢健二を知らない大人よりは、小沢健二を知っている大人だったので、こうしてちょっと感傷に浸れた。
横浜の小さな街の西友で、「今夜はブギーバック」の細長いシングルをお小遣いで買った中二の頃から、まだ30年もたっていない。
あの頃の僕たちは、コンプレックスの淵でただその手を取り合って。
私は不妊治療などは何もせず、うっかりと高齢と言われる年齢で子供を授かることができた。
妊娠中期までは本当に仲のいい友達にしか妊娠は明かさず、親にも黙っていた。
ふくらんだお腹で外を出歩く頃には、何度か「なに(治療を)かしたの?」と聞かれたんだけれども、特に嫌な気持ちにもならず「なにもしていない」と答えた。
今考えるとかなり失礼な質問だと思うが、本当になにもしてなかったので、なにもしてないから特になにも思わなかった。
うちの娘が下界で暮らしたくなったから、気まぐれにお腹に引っ越してきたんだろうなと思っている。
けれどそれまでは、自分の年齢にコンプレックスがあり、焦燥感と無力感も同時に少しだけあって、あまり認めたくなくて見て見ぬ振りをしていた…ような気がしないでもない。
ちょっと歯切れが悪いのは、今もまだ認めたくないからなような。
コンプレックスの正体は「いい年して何も成し遂げていない」という自責。
これはけっこうきつかった。
体調を崩して、仕事をやめていた時期があって。
結婚はしていたので家事はきっちりこなし、夫の体を気遣った完璧な食事を作っていたので、何もしていなかったわけではない。
でも自分の体調を改善させ「普通に生活」できるようにフィジカルを整えていた年月の中で、焦ってもしょうがないのに「いい年してこんなことしてていいのかな」が、ふとした瞬間襲ってくる。
サブカルっ子として、これは致命的な出来事なのは、サブカルっ子にはわかってもらえると思う。
「何かしてそうな見た目」なのに「何もしてない専業主婦」なのはキツイ。
だから、というわけでもなく本当に趣味だからやってたんだけれども、私はインスタグラムでちょこちょこ自分のていねいな暮らしをアップし始める。
私はベーカーズパーセンテージを計算して、粉からパンを作ることができ、完璧なメレンゲでふわふわのシフォンケーキを焼けたから、フォロワーがたくさんできた。
外国人のフォロワーも多く、英語が話せるので英語でやりとりもした。
毎日こんなに素敵な専業主婦であることで、この人生が腑に落ちるように仕向けていたのではないか。
ないか?
ここはまだ自分でもとても曖昧なところで、自分になにもキャリアがない暇な専業主婦だからインスタ映えで自己承認欲求を満たしていた、とかそこまで深刻でもない。
多分その時の趣味がパンを焼いてインスタグラムにアップして、やりとりすることだったんだと思う。
そこは純粋に、インスタ映えがおもしろくてしょうがなくてイキイキと楽しんでいた。
言い訳がすごい。
言い訳してもしょうがないんだけど、本当に私はインスタ映えが好きなキラキラサブカルババアなので、そこはわかっていただきたくて必死だが、わかってほしい。
わかってくれましたかね?
早起きして、ヨガをやってから手作りごぼう茶を煮出して、完璧に掃除洗濯をして、手作りパンを使った健康的な朝食を夫に出し、3キロの道のりをウォーキングしながら買い物に行っていた。
カフェインは体を冷やすので、あまりとりすぎないように。メインはルイボスティーで。
冷えは全ての不調の原因なので、体を温める食材を中心に毎日の献立を考える。
でも、健康を意識しすぎてストレスをためないようたまにペヤングを食べ、マックも行く。
好きなアニメを見ながら、インスタ映えする写真を撮りまくってフォロワーにちやほやされながら、おしゃれな奥様をエンジョイしていたらどうなると思います?
体調が良くなったんです。
インスタ映えするヘルシー志向キラキラサブカルババアになってしまい、結果ものすごく体調を持ち直しこれなら仕事できるなあ!というところまで回復してしまった。
しかしながら、まだ胃の奥の方に「いい年してこんなことしてていいのかな」が居座っていてそれは出産のリミットにも関わってきた。
35歳になればもう、多分子供はできないものと思って、そう切り替えて生きていかなければなと漠然と思っており。
あとは、あまり子供が好きな方でもなかったので、いなければいないで好き勝手に生きていけるしな…と納得していた。
強がっていたのかもしれないし、マイペースに生きていたかったのかもしれない。
今、子供がいる状況ではもう当時のコンプレックスを掘りかえす勇気がない。
うっかりものすごく健康になった頃には34歳になっており、よし、もう私たち夫婦は子供がいない人生を満喫しようね!と夫と折り合いをつけ。
今後なにをしよう。
なにか面白い仕事でもして、きちんと「何かしてそうな見た目で何かしてるおばさん」を目指すか!
と、一念発起して履歴書を書こうとしたら、風邪をひいた。
ヘルシー志向キラキラサブカルババアになってからは、何年も風邪なんかひいていなかったので、体調の悪さに驚いてしまい一旦履歴書をしまって寝込んでいたら。
妊娠三ヶ月だった。
なんだかそれからは怒涛の日々でよく覚えていない。
高齢なわりには、全く問題のない優良妊婦だったのだが、つわりがひどすぎて記憶がない。
出産してからは、以前の記事にも書いた通りワンオペ育児で死ぬ思いをしたのだが、育児の経験とヘルシー志向キラキラサブカルババアだった頃の経験が、なんと仕事になった。
ライターとして、オーガニックや無添加の文章を書いてギャラを頂き、ワンオペ育児の経験を元にしたコラムも採用してもらった。
ふと気づいたら、胃の奥で重く身体中を冷やすように居座っていたコンプレックスが、全て解消されていた。
今では老けることをなんとも思わなくなった。
もちろん白髪がめんどうくさかったり、若い頃のように思うように動けなくなったのは困ることもあるが、「まあババアだからなあ!ガハハ!!!」で納得できる。
子供の世話と家事、仕事があるので忙しい。
仕事は自分でも相当がんばってもぎとったな、と自画自賛したいくらい、がんばってライターとして毎月お金をもらえるようになった。
私は無事に「何かしてる人」になれた。
マウンティングともとられかねないから、実生活ではこんなことは話せない。
何かしてる人に加えて、子供もいるなんてコンプレックスも裸足で逃げ出すだろう。
現に今は年齢にコンプレックスは抱えておらず、できれば、高望みするならば、でもそれは子供の人生であるので強要はしたくないが、万が一、もし願いが叶うなら、孫を見たい。
これは子供にも言えない夢なので、そっとババアの心の奥にしまっておく。
最近やたらと思い出す人がいる。
私は20代の頃、水商売をしていていろんなお店で働いていた。
水商売は、酒を飲んでお金がもらえる最高の仕事である。
できることなら今でもやりたい。
あるお店で年上なのにとってもかわいい、愛ちゃん(仮名)というお姉さんがいたのだが、年齢を聞いてびっくりした。
もう40歳だという。
見た目は小さくてかわいらしく、ふわふわした洋服を好み、くるっとカールさせた茶色いロングがとても似合っていて40歳だなんて信じられなかった。
当然、愛ちゃん(仮名)はすごくモテていて、お店が終わるとよくお客さんと飲みに行っていたけれど、それで寝不足になってしまい昼の派遣のOLの仕事をよく休んでいたらしい。
今自分がその年になってみてよくわかるんだけども、この年で昼間仕事をして、それからスナックなりパブなりで働いて、朝まで酒飲んだら絶対に会社に行けない。
いやでも、愛ちゃん(仮名)は実家暮らしらしいから、そこは仕事行けよ!と思わないでもないんだけど。
若かった私は「愛ちゃん(仮名)って昼の仕事休んじゃうんだ…ちょっとだらしないな」と引いていた。
愛ちゃん(仮名)は、気に入ったお客さんと楽しくお酒を飲みたいから、嫌な客につかされると無視して逆のテーブルの人と喋ったりするので、たまにフォローしていた。
愛ちゃん(仮名)の会社の40代の独身男性は、それまで夜のお店で飲んだことなんかなかったのに、愛ちゃん(仮名)に入れあげて実は水商売をしていると告げられ常連客になった。
ぱっと見地味な男性なので、愛ちゃん(仮名)はぜんぜん相手にしておらず、気をひくためにBMWを買い、タワーマンションまで買ったけれども全て失敗していた。
その時、愛ちゃん(仮名)は25歳の警察官とお付き合いをはじめ、年齢を聞かれて免許証を見せたら、彼氏が超びっくりしてた〜!と爆笑していた。
ここまでで、根が割と真面目なサブカルっ子であるところの、私はドン引き。
さらにドン引きしたのは、愛ちゃん(仮名)は「疲れててお仕事に行けな〜い!」と泣いちゃうんだそうだ。
お母さんだかお父さんが、夜のバイトはやめたら?と言ったらしいが、素敵な結婚相手と巡り会いたいだか、人生勉強だかでとにかく夜はやめない。
20代の私は、その話を聞いて苦笑いすることしかできなかった。
わりと近所に住んでいたらしく、昼のスーパーで「今夜は豆乳鍋なんだ」と、豆乳鍋のスープと具材を買ってる愛ちゃん(仮名)を見たこともある。
豆乳鍋のスープはまずそうだった。
ある日、お店の裏から「おはようございまーす」と出勤したら、店のキッチンで愛ちゃん(仮名)がなんか食べている。
「仕事終わってから、夜中までだとお腹すいちゃうでしょ〜」と、40代にはとても見えないかわいい笑顔で、みたらし団子を食べていた。
みたらし団子を貪り食う、愛ちゃん(仮名)を見て「あ、この人ババア」だ、と改めて気づかされた。
お店は商店街のはずれにあり、駅から店にくるまではコンビニもスーパーもおしゃれなデリもある。
その中からあえて和菓子屋を選び、店のキッチンでみたらし団子を貪り食う四十路(独身・実家暮らし)にショックを受けた。
愛ちゃん(仮名)は、どんなに見た目がかわいくても体はババアなんだな…と地味にショックを受けてすぐ、そのお店をやめてしまったので愛ちゃん(仮名)がどうなったかは知らない。
この出来事は「どんなに見た目が若くても、四十路のババアになると和菓子食べだす」事件として、私の心に深く刻まれる。
そして今、私がよく買うのは和菓子だ。
和菓子超うめえ。
あんこはさっぱりしたものがよく、ちょっと苦味がある草餅なんか最高。
うちのすぐ近くに和菓子屋があり、娘もよく一緒に行くのでご主人や奥さんともよく話す。
そのお店には焼きまんじゅうという、酒まんじゅうを強火で焼いてからみたらしをかけるという最高のお菓子があり、月に一回くらいはシャブ中のごとく焼きまんじゅうが食べたくて体が震えだす。
和菓子を買うたびに、愛ちゃん(仮名)のことを思い出す。
彼女は25歳の彼氏とどうなったのだろうか。
年齢を知られても付き合っていけたのだろうか。
結婚はできたのだろうか。
実家は出たのだろうか。
定職にはつけただろうか。
それとも、金持ちのおじさんと結婚してセレブ妻になっただろうか。
今考えると、いつもきれいに茶色に染めていた髪の毛は、白髪染めだったんじゃないかと思う。
愛ちゃん(仮名)は、「ワセリンてあるでしょ?あれを顔じゅうにべったり塗って寝ると、朝すごく調子がいいんだよ!」と教えてくれた。
20代なんか、化粧も落とさず寝ちゃうこともあるというのに。
私は40歳間近になり、化粧水で保湿したあとにワセリンを塗っている。
和菓子とワセリンに触れ合うたびに、愛ちゃん(仮名)を思い出す。
彼女はもう55歳をすぎていて、還暦に近づいている。
せめてインスタグラムでマウントとりまくってる、セレブ妻であってほしい。
ちくっと心が痛くなる。
私はコンプレックスを捨てて、「何かしてる人」兼母親になった。
人の人生に口出しできるほどえらいもんでもないけれど、愛ちゃん(仮名)は55歳を迎えるまでに何かを掴み取っただろうか。
私は、愛ちゃん(仮名)に勝った!と思っているのだろうか?
彼女をバカにして、クリエイティブなワーママであることを暗に自慢したいんだろうか?
愛ちゃん(仮名)を見下して、自分はああならなくてよかった…と安心しているのだろうか?
この愛ちゃん(仮名)への心の引っかかりは、胃の奥にずっしり重く居座っていたコンプレックスがいなくなり、それと引き換えに手に入れた自画自賛の対価ではないか。
彼女が彼女なりに幸せになっていればそれでいい。
でも、不幸になっていたとしても私には関係ない。
これからの人生、彼女と同じ空間で過ごすこともないだろう。
大きな川の近くの、小さな飲み屋で出会った40歳が、クリエイティブなワーママとして華やかに生きたい私をちょっとだけ深淵に押し込める。
シャネルのコスメを使うスタイリッシュなオタクであろうという自意識が、ある日弾け飛んだ話
前回の記事で、サブカルクソ女だったことを長々書けてすごく満足している。
少し自分語りをする場所があると、仕事もきっとうまくいくだろうなんて思ったら、ブログを書いた後に仕事に戻ったときに、その案件がオーガニックで善良な記事であったためとても感覚がおかしくなった。
文豪っぽくてすごくいい。
それも満足だ。
昔から私の選民意識と自意識はものすごかった。
なぜなら、オシャレなオタクであろうとしていたからだ。
私が使っていたコスメは、シャネルを中心に外資系が多く、シュウウエムラのビューラーを長年愛用していた。
髪型は真っ黒でIKKOさんのような前下がりのグラデーションボブ、サイドと後頭部は3ミリに刈り上げてある。これは今でも続けている。
美容院は18歳から通い続けている、二子玉川のオーナーひとりで営業しているサロンだ。
保育園のお迎えの時は小さな頒布のトートを持っているが、それはジェシカケーガンクッシュマンのもので、エルメスを揶揄する内容がプリントされている。
iPhoneとMacBook Airを使っていて、たまにスタバでiPhoneをルーターにして仕事をしている。飲むのはブラックのドリップコーヒーだけ。
スタイリッシュを煮詰めきっていた。
そして腐女子だ。
けっこう年季の入った腐女子で、小学生の時から聖闘士星矢の同人誌アンソロジーを買っていた。
寒さと趣向は特に関係ないと思うが、寒いと温め合いやすいのかもしれない。(聖闘士星矢を履修していた人だけ笑ってください)
中学生になると、グレてヤンキーとばかり遊んでいたがあいかわらず腐女子であることはやめられず、幽遊白書とるろうに剣心で腐っていた。
ヤンキーの友達が来る時には、押入れに同人誌をしまう。
腐女子であることがバレるとやばいから、ではない。
彼女らがバカすぎて、サブカルチャーやオタク文化を理解できないと思ったからだ。
選民意識と自意識がエグい。
言い訳をするわけではないが、ヤンキーの友達らは本当に頭が悪く、中山美穂のファンだった友達は「ミホちゃんが出ているから視聴率を上げたい」と言って、見てもいない中山美穂のドラマの時間にはテレビをつけっぱなしにしていた。
しばらく理解できなかったんだけれども、どうやらテレビには全て視聴率を統計する能力があると思っていたらしく、チャンネルを合わせていれば視聴率が上がると本気で思っていたようだった。
無理だった。
そのあたりから無理だな…と思っていたけれど、17歳で授かり婚をしてソッコー離婚したりするところも本当に無理だった。
そっとヤンキー文化からいなくなった私は、クリエイターや舞台人たちの間でちょっとかわいがられるエキセントリックなロリータガールとして生きていたんだけど、その界隈では腐女子であることは隠すべきことではなかったのでとても楽だったのを記憶している。
そのあたりで、私の自意識はさらにウナギのぼりしていく。
「業界人も認めるセンスの私が、実は腐女子なんですよ」
やばいでしょう。
そこらへんの女の子がバカに見えてしょうがなかった。
でも年をとるごとにそれを表に出さず、慎ましやかにする術も身についてきて、自分でも気づかないうちに外面とはうらはらな選民意識と自意識は肥大化していたんじゃないかと思う。
思う、としたのは、自分でもセンスが良くてオシャレな私が実は腐女子なんですよね〜をウリにしていないつもりだったからだ。
そこも鼻持ちならないな、と今は思う。
結婚してからは、ピンとくるジャンルもなく、バンドマンだった夫とそこそこサブカルった鼻持ちならない暮らしをしていたのでたまに商業BLとか読んじゃうんですよねくらいの自意識で止まっていた。
ところが、出産したらなんということでしょう。
あまりの肉体的な辛さ、疲労、睡眠不足、ストレスからすがるものが欲しくなったのか、またゴリゴリの腐女子にカムバックすることになる。
子育てのストレスは、なんていうか、母性を盾にした拷問というか。
ありとあらゆる痛みや悩みをもたらす。
ただその辛さ全てが「我が子が死ぬほどかわいい」で相殺されるので、まあなんとかなるんだが。
でも、ピンときてしまった。
某男性アイドルをメインとしたゲームとアニメのジャンルに、BLとしてだけでなく純粋にアイドルとしての魅力も感じてしまった。
子育てでボロボロになったおばさんは、二次元のアイドルにどんどんのめりこみ、推しのことを思うと涙が出てくるくらい大好きになってしまった。
恋として胸をしめつけられているわけではなく、なんかもう本当に純粋に頑張って欲しくて、彼がいてくれるから私もがんばれる、みたいな…
ぐるぐる回ってものすごくピュアな気持ちでコンテンツにどハマりしてしまった。
それまでは「オタクではあるけれども、シャネルのコスメを使っている私」は保てていたのに、子育てのストレスからすがりついた推しへの愛はシャネルをあきらめさせた。
単純にお金がコスメに回らないので、メイベリンのマスカラを買ったのだ。
40歳を目前にして、オタク心がオシャレに勝ってしまった。
要因はいろいろあると思う。
コンテンツの面白さ、推しキャラの魅力、子育てのストレス。
でも、今までは保てていたシャネルを使う側にいるアーバンな私、を捨ててまでグッズやCDを買うなんて。
気づいたら声優さんが歌い踊るライブで、ペンライトを振りながら号泣していた。
彼がそこに存在していたからだ。
「辛いとき、あなたもがんばっていると思うと本当に救われた。ありがとう」
と心の底から感謝して、涙して、応援していた。
おばさんになり、シャネルを捨て、私は子供とピュアさを手に入れた。
これはすごいことだ。
私の斜に構えた人生において、こんなことが起こるなんて想像もしていなかった。
シャネルのコスメを捨ててまで、お金をかけたい存在がある。
今は最低限のサブカル感と、最低限のスタイリッシュさでいいと思っている。
サブカル感を完全に捨てることはできない。
それは私のダメなところであり、積み上げてきたものなのでもうしょうがない。
本当は服やコスメも、以前のようにできればいいのだが、ぶっちゃけそこまでお金が回らない。
私が文章で稼げる微々たるギャラは、娘のための貯金と推しに貢ぎたい。
変な髪型であり続けたいとは思うが、前ほどの自意識がなくなってしまった。
「多くは語りませんが、私これでもモードとファッションには精通していましてネエ…」みたいなそぶりをするのがしんどくなってきた。
娘と推しに出会えたことで、奥の奥にいたらしい「実直で善良なピュアなおばさん」が全面にでてきてしまった。
24人のおばさん、だ。こういうのはちょっとサブカルっぽさを出してしまって、非常に反省しなければいけないところだ。
ちなみに実直という評価は、自己評価でなく本当に仕事でクライアントさんに言ってもらった言葉で、ちょっと笑ってしまった。
私は実直なおばさんであり、ピュアなファンで、真面目で優しいお母さんだ。
あんなに心のうちにくすぶっていた、「オタクであるけれどもモード感は出していきたい欲求」が、推しの前では微塵も出てこない。
単純に年をとって虚勢をはるのがめんどうくさくなったのかな、と思わないでもない。
おばさんは疲れているから、気取るのも大変なんだろう。
いやそれにしたって。
二次元のアイドルにここまでハマりきって、あんなに築き上げてきたスタイリッシュさを二の次にできるものか。
推しの名前はあえて書かない。
彼をこんなところに引き合いに出すのは、彼に失礼だと思う。
本気で思っている。
あの鋼鉄のような選民意識と自意識は、年とともにゆるゆるとゲル化し、二次元アイドルの素晴らしさと娘の愛らしさで溶けきった。
ゲル化した傀儡を無理やり剥がされた私は、ちょっとオシャレに見えるような見えないような、変な髪型をしたお母さんとなり推しのことを考えては涙する。
とても心地よい。
ここはぬるま湯だ。
話題のカルチャーやガジェットに振り回されないぬるま湯。
こんなに素直になれたのは、娘への無償の愛と、彼への応援の気持ちからでそこからは善良な言葉しか出てこない。
きっといつか、彼の活動が終わる日が来る。
娘も自立する。
でも、ピュアで実直なところに気づいてしまった私は、きっと優しいおばさんでい続けてしまう。
過去を思い出すとちょっと面喰らう未来ではあるが、人間万事塞翁が馬。
今の私の気がかりは、娘の鼻炎と次にリリースされる新曲のことだ。
次の新曲は彼がおとぎの国のキャラクターになり、演じながら歌うそうだ。楽しみというか、ありがたくて泣けてくる。
シャネルの新作は見てもいない。
私は来月もきっとドラッグストアでメイベリンのアイライナーを買う。