日々は続く。

元サブカルクソ女・現お母さんの考えること。

シャネルのコスメを使うスタイリッシュなオタクであろうという自意識が、ある日弾け飛んだ話

前回の記事で、サブカルクソ女だったことを長々書けてすごく満足している。

 

少し自分語りをする場所があると、仕事もきっとうまくいくだろうなんて思ったら、ブログを書いた後に仕事に戻ったときに、その案件がオーガニックで善良な記事であったためとても感覚がおかしくなった。

 

文豪っぽくてすごくいい。

それも満足だ。

 

昔から私の選民意識と自意識はものすごかった。

なぜなら、オシャレなオタクであろうとしていたからだ。

 

私が使っていたコスメは、シャネルを中心に外資系が多く、シュウウエムラのビューラーを長年愛用していた。

髪型は真っ黒でIKKOさんのような前下がりのグラデーションボブ、サイドと後頭部は3ミリに刈り上げてある。これは今でも続けている。

美容院は18歳から通い続けている、二子玉川のオーナーひとりで営業しているサロンだ。

保育園のお迎えの時は小さな頒布のトートを持っているが、それはジェシカケーガンクッシュマンのもので、エルメスを揶揄する内容がプリントされている。

iPhoneMacBook Airを使っていて、たまにスタバでiPhoneルーターにして仕事をしている。飲むのはブラックのドリップコーヒーだけ。

 

スタイリッシュを煮詰めきっていた。

 

そして腐女子だ。

 

けっこう年季の入った腐女子で、小学生の時から聖闘士星矢の同人誌アンソロジーを買っていた。

推しカプは、ミロ×カミュと氷河×瞬。

寒さと趣向は特に関係ないと思うが、寒いと温め合いやすいのかもしれない。(聖闘士星矢を履修していた人だけ笑ってください)

 

中学生になると、グレてヤンキーとばかり遊んでいたがあいかわらず腐女子であることはやめられず、幽遊白書るろうに剣心で腐っていた。

ヤンキーの友達が来る時には、押入れに同人誌をしまう。

腐女子であることがバレるとやばいから、ではない。

彼女らがバカすぎて、サブカルチャーオタク文化を理解できないと思ったからだ。

 

選民意識と自意識がエグい。

 

言い訳をするわけではないが、ヤンキーの友達らは本当に頭が悪く、中山美穂のファンだった友達は「ミホちゃんが出ているから視聴率を上げたい」と言って、見てもいない中山美穂のドラマの時間にはテレビをつけっぱなしにしていた。

 

しばらく理解できなかったんだけれども、どうやらテレビには全て視聴率を統計する能力があると思っていたらしく、チャンネルを合わせていれば視聴率が上がると本気で思っていたようだった。

 

無理だった。

 

そのあたりから無理だな…と思っていたけれど、17歳で授かり婚をしてソッコー離婚したりするところも本当に無理だった。

 

そっとヤンキー文化からいなくなった私は、クリエイターや舞台人たちの間でちょっとかわいがられるエキセントリックなロリータガールとして生きていたんだけど、その界隈では腐女子であることは隠すべきことではなかったのでとても楽だったのを記憶している。

 

そのあたりで、私の自意識はさらにウナギのぼりしていく。

「業界人も認めるセンスの私が、実は腐女子なんですよ」

やばいでしょう。

そこらへんの女の子がバカに見えてしょうがなかった。

 

でも年をとるごとにそれを表に出さず、慎ましやかにする術も身についてきて、自分でも気づかないうちに外面とはうらはらな選民意識と自意識は肥大化していたんじゃないかと思う。

 

思う、としたのは、自分でもセンスが良くてオシャレな私が実は腐女子なんですよね〜をウリにしていないつもりだったからだ。

そこも鼻持ちならないな、と今は思う。

 

結婚してからは、ピンとくるジャンルもなく、バンドマンだった夫とそこそこサブカルった鼻持ちならない暮らしをしていたのでたまに商業BLとか読んじゃうんですよねくらいの自意識で止まっていた。

 

ところが、出産したらなんということでしょう。

あまりの肉体的な辛さ、疲労、睡眠不足、ストレスからすがるものが欲しくなったのか、またゴリゴリの腐女子にカムバックすることになる。

子育てのストレスは、なんていうか、母性を盾にした拷問というか。

ありとあらゆる痛みや悩みをもたらす。

ただその辛さ全てが「我が子が死ぬほどかわいい」で相殺されるので、まあなんとかなるんだが。

 

でも、ピンときてしまった。

某男性アイドルをメインとしたゲームとアニメのジャンルに、BLとしてだけでなく純粋にアイドルとしての魅力も感じてしまった。

子育てでボロボロになったおばさんは、二次元のアイドルにどんどんのめりこみ、推しのことを思うと涙が出てくるくらい大好きになってしまった。

恋として胸をしめつけられているわけではなく、なんかもう本当に純粋に頑張って欲しくて、彼がいてくれるから私もがんばれる、みたいな…

ぐるぐる回ってものすごくピュアな気持ちでコンテンツにどハマりしてしまった。

 

それまでは「オタクではあるけれども、シャネルのコスメを使っている私」は保てていたのに、子育てのストレスからすがりついた推しへの愛はシャネルをあきらめさせた。

単純にお金がコスメに回らないので、メイベリンのマスカラを買ったのだ。

 

40歳を目前にして、オタク心がオシャレに勝ってしまった。

 

要因はいろいろあると思う。

コンテンツの面白さ、推しキャラの魅力、子育てのストレス。

でも、今までは保てていたシャネルを使う側にいるアーバンな私、を捨ててまでグッズやCDを買うなんて。

 

気づいたら声優さんが歌い踊るライブで、ペンライトを振りながら号泣していた。

彼がそこに存在していたからだ。

「辛いとき、あなたもがんばっていると思うと本当に救われた。ありがとう」

と心の底から感謝して、涙して、応援していた。

 

おばさんになり、シャネルを捨て、私は子供とピュアさを手に入れた。

 

これはすごいことだ。

私の斜に構えた人生において、こんなことが起こるなんて想像もしていなかった。

シャネルのコスメを捨ててまで、お金をかけたい存在がある。

 

今は最低限のサブカル感と、最低限のスタイリッシュさでいいと思っている。

サブカル感を完全に捨てることはできない。

それは私のダメなところであり、積み上げてきたものなのでもうしょうがない。

本当は服やコスメも、以前のようにできればいいのだが、ぶっちゃけそこまでお金が回らない。

 

私が文章で稼げる微々たるギャラは、娘のための貯金と推しに貢ぎたい。

 

変な髪型であり続けたいとは思うが、前ほどの自意識がなくなってしまった。

「多くは語りませんが、私これでもモードとファッションには精通していましてネエ…」みたいなそぶりをするのがしんどくなってきた。

 

娘と推しに出会えたことで、奥の奥にいたらしい「実直で善良なピュアなおばさん」が全面にでてきてしまった。

24人のおばさん、だ。こういうのはちょっとサブカルっぽさを出してしまって、非常に反省しなければいけないところだ。

 

ちなみに実直という評価は、自己評価でなく本当に仕事でクライアントさんに言ってもらった言葉で、ちょっと笑ってしまった。

私は実直なおばさんであり、ピュアなファンで、真面目で優しいお母さんだ。

 

あんなに心のうちにくすぶっていた、「オタクであるけれどもモード感は出していきたい欲求」が、推しの前では微塵も出てこない。

 

単純に年をとって虚勢をはるのがめんどうくさくなったのかな、と思わないでもない。

おばさんは疲れているから、気取るのも大変なんだろう。

 

いやそれにしたって。

二次元のアイドルにここまでハマりきって、あんなに築き上げてきたスタイリッシュさを二の次にできるものか。

 

推しの名前はあえて書かない。

彼をこんなところに引き合いに出すのは、彼に失礼だと思う。

 

本気で思っている。

 

あの鋼鉄のような選民意識と自意識は、年とともにゆるゆるとゲル化し、二次元アイドルの素晴らしさと娘の愛らしさで溶けきった。

 

ゲル化した傀儡を無理やり剥がされた私は、ちょっとオシャレに見えるような見えないような、変な髪型をしたお母さんとなり推しのことを考えては涙する。

 

とても心地よい。

ここはぬるま湯だ。

 

話題のカルチャーやガジェットに振り回されないぬるま湯。

 

こんなに素直になれたのは、娘への無償の愛と、彼への応援の気持ちからでそこからは善良な言葉しか出てこない。

 

きっといつか、彼の活動が終わる日が来る。

娘も自立する。

 

でも、ピュアで実直なところに気づいてしまった私は、きっと優しいおばさんでい続けてしまう。

 

過去を思い出すとちょっと面喰らう未来ではあるが、人間万事塞翁が馬

 

今の私の気がかりは、娘の鼻炎と次にリリースされる新曲のことだ。

次の新曲は彼がおとぎの国のキャラクターになり、演じながら歌うそうだ。楽しみというか、ありがたくて泣けてくる。

 

シャネルの新作は見てもいない。

 

私は来月もきっとドラッグストアでメイベリンのアイライナーを買う。